バイオの買物.com@統合データベースシンポジウム 090612
2009年6月12日に開催されました文科省統合データベースプロジェクト「データベースが拓くこれからのライフサイエンス」のシンポジウムに参加し、ポスター発表をしてきました。シンポジウムのウェブサイト
とりあえずそのときのポスターをここに貼っておきます。
バイオの買物.com@統合データベースシンポ[PDF 4.4M]
簡単な感想
データベースを作成する側のバイオインフォマティックス関係者が多く参加することを予想していましたが、実際にはツールを利用するバイオロジストが多く参加しているように感じました。開催者は、予想を超える340名が参加されたと発表していました。これはこのようなユーザ側の人が多く参加してくれたからかもしれません。そうだとすればとても喜ばしいことだと思いました。
僕自身のポスター発表でも、やはりユーザの人が多く足を止めてくれました。どちらかというとテクノロジーのことを話す準備をしていましたので少し戸惑いましたが、ユーザが関心を持ってくれたこともまた喜ばしいことです。
あとは、このポスターに書いてあるようなものを完成させるべく、日々がんばっていきたいと思います。
Using Hex coded characters inside Ruby regex character classes
I ran into a (bug? | annoyance) in Ruby 1.8.6 on MacOS X.
Run all following code with
$KCODE = 'u'
Working with the hex coded em-dash character.
puts "\xE2\x80\x94"output:—
I can successfully use the hex coding to generate a simple regular expression.
puts "—" =~ /\xE2\x80\x94/output:0
However, this doesn’t work if I put the hex coded character inside a character class.
puts "—" =~ /[\xE2\x80\x94]/output:nil
I can work around this by evaluating the hex coded character and generating a UTF-8 character, before putting into the character class brackets.
puts "—" =~ /[#{"\xE2\x80\x94"}]/output:0
To see what’s happening, I inspected the regex objects.
/[\xE2\x80\x94]/.inspectoutput:"/[\\xE2\\x80\\x94]/"
/#{"\xE2\x80\x94"}/.inspectoutput:"/—/"
It looks like if I want to reliably use unicode within Ruby regular expressions, using the hex code inside of the regex is a bad idea. I should evaluate the hex code and generate a unicode character before sticking it into the regex.
経済危機と生物学の間
分子生物学の実験でPCRや細胞培養をやっていると、たった一つの指標で成果を選別することの危うさが身に染みます。
例えばPCRであれば、増幅しにくいあるいは量が少ない遺伝子をたった一つのプライマーセットで増幅しようとすると、非常に高い確率で目的以外の遺伝子がとれてしまいます。したがって、プライマーセットというたった一つの指標ではなく、シークエンス解析などをして上で、目的の遺伝子が増幅されたと最終的に確認しないといけません。
細胞培養であれば、遺伝子を導入して安定形質転換細胞を作り上げるときは、まずはハイグロマイシンなどの薬剤で選択を行います。しかし遺伝子が細胞増殖に悪影響がある場合は、ハイグロマイシン耐性細胞の多くは目的の遺伝子を発現していません。予想のつかない現象で薬剤耐性を獲得した、目的と全く異なる細胞がかなり多く生き残るのです。ここでもやはり薬剤耐性というたった一つの指標ではなく、ELISAなどの全く別の指標で最終確認を行う必要があります。
分子生物学ではこのようなことを踏まえて、たった一つの指標による判断が強く戒められています。学術論文にてある結論を導こうとするとき、その結論を裏付ける独立の実験を最低2つ、通常は3つぐらい行う必要があります。例えばある遺伝子の量的変化を証明したい場合は、DNAアレイ、リアルタイムPCR、ウェスタンブロットなどをやらないといけません。
一方でアメリカの金融業界の破綻の原因は、ルールを極力無くした上での利益追求と言われています。金融業界をコントロールするような規制を敷くのではなく、自由に利益の最大化を追求させれば、自ずと良質の企業が生き残るという、レーガン・サッチャー以来の考え方です。
同様に、ここ数年間は株主至上主義が日本の経済界に吹き荒れています。堀えもんやスチールパートナーズなど、株価や株主が非常にクローズアップされ、企業としての本当の社会貢献よりも、利益、株価、そして時価総額の方がクローズアップされました。
証券会社に長く勤めていた私の父は「それでも最終的には株式は企業の価値を正しく反映する」と信じて疑わないのですが、PCRや細胞培養の実験でさんざん苦しめられてきた私としては、とてもそうは思えません。
企業の価値を少数の数字的な指標で判断することはできないだろう。数字的なものよりも、もうちょっと感覚的な何かで裏付けられなければ、全く誤った判断をしてしまうということを、私の分子生物学の実験経験は訴えます。
そもそも生物学実験において、数字的に出てきたデータほど怪しいものはありません。例えばウェスタンブロットのバンドの濃さを数字化してデータを見せられても、実際のウェスタンブロットの画像を見ない限り、まともな研究者は全く信用してくれません。同じように企業活動を売上げだとか利益、そして株価という数字で抽象化した姿は、全くの虚像である可能性が高いと思います。
現在の経済危機の中、レーガン・サッチャー以来の自由主義が見直され、金融をより強く規制する流れになっています。また雇用が不安定化する中、企業の社会責任も強く言われ、利益追求よりも安定して雇用を守ることが要求されています。そして成果主義の見直しもあちらこちらで議論になっています。
今朝の朝日新聞には『「ノルマなし」が営業力に』という記事があり、ネッツトヨタ南国(高知市)で営業ノルマがなくなったことが紹介されています。その代わりに50項目からなる営業マンの売り方の「質」を評価する独自のシステムが構築されているようです。まさに、数値化しやすい「ノルマ」で評価するのではなく、数値化しにくい多数の視点で評価するやり方です。
僕はもう分子生物学の研究から離れて久しいのですが、その中から得たものの考え方に世の中の流れが向かっている気がしてなりません。
一方で、竹中平蔵元経済財政政策担当大臣などが「実験」をたくさんやっていれば、新自由主義グローバリズムの考え方がもう少し成熟したものになっていたのではないか、セーフティーネットはもっと早め早めに構築されていたのではないかと考えてしまいます。
やっぱり、必要なのは「実験」でしょう。
(ちなみに汚いシークエンスデータと格闘するバイオインフォマティシャンも、立派に手をドロドロにしているという意味では、実験科学者だと思います)
朝日新聞「英語で授業 できるの?」
2月1日の朝日新聞の9面に「英語で授業 できるの?」という特集がありました。13年度の新入生から段階的に実施される予定の高校英語の学習指導要領の改訂を受けて、3人の指揮者からの意見を集めた特集でした。
この学習指導要領の改訂の中に「従業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」が明記されているそうです。これを受けて、「英語で授業 できるの?」というのが本特集の題名になっているようです。
僕自身は小学校の間にイギリスに住んでいて、長く現地校にいました。英語しかしゃべれなかった時期もあり、日本語は小学校の頃に外国語として勉強し直しています。そういう理由で外国語の学習には非常に興味を持っていますが、僕の観点から、この記事の中で面白かった文をいくつか取り上げたいと思います。
立教大学教授 松本茂さん
私は中央教育審議会の外国語専門部会委員として改訂に向けた検討をしてきたが、主眼は「英語で授業」ではない。
…
これまでの授業は、先生が説明し、生徒は聞いているだけ。あるいは、生徒に和訳させ、先生が直す。…. 生徒は試験に備えて和訳を覚える。これでは進学しても社会に出ても、使い物にならない。野球部の部員が、イチローのビデオを見て監督の解説を聞くだけで、打撃練習や紅白試合をしないのと同じだ。
…
今の授業では、覚えたつもりにさせているだけで、活用力どころか知識にすらなっていない。
こう述べた上で、松本さんは以下の授業形態を推奨しています。
生徒が大量の英文を読んだ上で、英語でプレゼンテーションする。生徒の間で役割を決め、英語でインタビューし、英文を書く。書いた英文を互いに英語で批評し合って書き直す。
そして、日本語の英語教育の問題としてしばしば取り上げられる「文法重視」「英会話」について、考え方そのものを痛烈に批判しています。
いまだに「文法中心か、コミュニケーション重視か」という対立軸をあげる人がいる。もうやめにしませんか。どちらも大事だし、相互に関連したものなのだから。
高校におけるコミュニケーション重視の英語授業とは、英会話の授業ではない。日本語を介さずに大量の英文を読むのが基本となる。中学・高校の英語教科書は薄すぎる。
僕は松本さんの意見に全面的に賛成です。
「文法中心か、コミュニケーション重視か」という対立軸について言えば、残念ながら英語を勉強した日本人は、実は文法もちゃんと理解できていません。残念ながらどっちもできていないのです。ですから二者択一している場合ではありません。
また英語教育をする目的は、海外旅行で英会話ができることが目的ではありません。世界の情報の圧倒的多数は英語で発信されますが、これを吸収し、また自分から発信できる人材を育てることが目的だとぼくは考えます。そのために必要なのは「英会話」の授業ではなく、長文読解、作文、そしてプレゼンテーション力なのです。
外資系の企業で感じることですが、「会話」だけなら TOIEC 500点台でなんとかなります。英語で伝わらない部分は、外向的な性格だとか純粋な人の良さでカバーできます。ただ、これは見下されてもいい「かわいい日本人」の立場であるか、自らに圧倒的な技術力があるかの限定付きです。これでいいのなら、この程度の英語力でも外資系で勤まります。しかし、外資系の企業で先頭に立って活動するためには、大量の英文の資料を読み書きし、経営陣の前で説明できなければいけません。
学校の授業で「会話」を重視し、読み書きを軽視するなんてばかばかしいということです。
国立音大准教授 中西千春さん
高校の英語学習は、単に英語で会話することだけが目標ではない。英語で読み書きをする、議論をする、推論するといった「認知学習言語能力」を育成しなくてはならない。議論や推論などは高校生にとって日本語での訓練も十分であないのだから、日本語を活用したほうが効果的だ。
むしろ、日常会話能力を含めたコミュニケーション力を育成するうえで問題なのは、高校で学ぶ時間と単語数が絶対的に不足していることだ。日本人が英語コミュニケーション力をつけるには約3千時間の学習が必要とされるが、中高での英語学習は総計で約800時間にすぎない。
中西さんも、「英会話」ではなく、より総合的なコミュニケーション力を学ばなければならないとしています。そして日本の英語の学習時間が圧倒的に少ないことを指摘しています。
ただ中西さんは、圧倒的に時間が足りない状況を受けて、日本語をうまく活用した授業で効率化を図るべきだとしています。
僕の感想
僕は松本さんや中西さんの意見には全面的に賛成で、これがうまく実施できれば間違いなく良い方向に進むと思います。大学入試側も入学試験の工夫をして、より長文読解重視、より作文重視をしてくれることを望みます。
大切なのは、実際に社会で英語を使う日本人が、どのように英語を使っているかを踏まえた上で議論することです。
外資系だけでなく、日本企業や官公庁でも、英語の長文をしょっちゅう読まなければならない部署は多くあります。またこれらの部署では、自ら英語の文章やプレゼンテーションで情報を発信しなければいけません。外国の大学に留学するにも同じです。
大学入試を含めて英語を学習させるすべての機関が、最後にあるべき姿をしっかり意識して、その上で英語教育を改善してもらいたいと思います。
ミクシィのケータイへのシフトを読み解く
ミクシィに限らず、日本のインターネットビジネスの中でケータイの重要性が大きく増しています。(例えば 1, 2)
実際に利用する人の利便性という意味ではパソコンを使ったインターネットの重要性はますます高まっているようにも思います。しかしいざ収益という点においては、パソコンは横ばい、それに対してケータイが成長しているという話が各社から聞かれます。
その中の一つ、ミクシィのケータイへのシフトについて述べている記事がありましたので、それを見ながら僕なりの考察を加えたいと思います。
ページビュー数ではすでに「パソコン1」対「ケータイ2」に

登録会員数の内訳は公開されていないので詳細は不明だが、パソコン・携帯電話それぞれのページビュー数では2007年8月に初めて携帯電話経由の値がパソコン経由のを上回り、以降ずっと「携帯電話経由のページビュー数が全体に占める割合を増やしつつある」傾向が見られる。
ちなみに2008年9月時点の数字はパソコン経由のページビューが49.9億なのに対し、携帯電話経由は97.8億。すでにパソコン対携帯電話の比率が1対2に迫っている。この比率がさらに携帯電話寄りになることは容易に想像がつく。
読み解くという意味では、ケータイからのページビュー数を過大評価しないように気をつけるべきだと思います。というのは、ケータイの方が画面が小さく、一度に多くの情報を載せられないため、ページビューが多くなる傾向にあるからです。ページビューというのはウェブサイトのナビゲーション構造に大きく影響されますので、異なるウェブサイト間でページビューを比較するのは、あまり意味が無いのです。
ただ広告を掲載する上では、このページビューは大きな意味を持ちます。ケータイ利用者が多くなるということは、訪問者あたりのページビューが増えることになりますので、広告収入を高める効果は非常に高いでしょう。
携帯電話の方が広告単価がパソコンより高い
携帯電話の方が(アクセス者のリアクションが良いことなどを理由に)広告単価がパソコンより高い
以前のブログ記事「高校生の携帯電話の使い方」で、携帯電話サイトの広告の方がウザイ上、間違えてクリックしやすいということを紹介しました。広告にとってはこのことが大きなプラスなのです。
つまり携帯電話の方がアクセス者のリアクションが良く、それだけ広告単価は高くなるのは事実ですが、それは利用者にとってポジティブなものではないということです。
SafariやFirefox、そしてInternet Explorerなどのブラウザでは、あまりにもウザイ広告は表示しない機能があります(ポップアップを表示しない)。いまのところケータイにサードパーティーのブラウザをインストールすることは一般的ではありませんが、それが可能になれば、ケータイのウザイ広告を表示しない機能が普及するかもしれません。
そういう意味で、「携帯電話の方がアクセス者のリアクションが良い」ことにあまり頼らないことが重要だと思います。
個人的な気持ち
個人的には日本のインターネット産業が携帯電話にシフトしていくことに危機感を感じています。理由は以下のものです。
- 日本だけの閉じた産業・技術で終わってしまい、日本のインターネット産業の国際競争力育成につながらない
- iPhoneなどに見られるように、携帯電話の進歩は凄まじく、パソコンと同様のことができるようになる日は近い。パソコンでのビジネスモデルから携帯電話のビジネスモデルにシフトしてお金を儲けようとしても、携帯電話そのものがパソコン化してしまうだろう
日本のインターネット産業には、安易に携帯電話にシフトするのではなく、パソコンでのビジネスモデルをどのように発展させていくかということをもっと真剣にやってもらいたいと思っています。確かに今は携帯電話ビジネスの方が儲かるかもしれません。でも、技術革新のスピードを考えると、携帯電話が独自のビジネス空間を形成していられるのはせいぜい5年だと思います。iPhoneや携帯性に優れたNetbookにより、携帯電話独自のビジネスはあっという間に浸食されてしまうのは間違いのないことでしょう。
iLifeが届きました
アップルからMac用のiLifeが届きました。
iLifeについているあたらしいiPhoto ‘09は、人の顔を認識して、同じ顔が写っている写真を自動的に探し出してくれるようです。インストールしたばかりのiPhotoは、ただいま各写真を分析して、顔を探し出しているみたいです。

その他、興味がある機能はGarage Bandのアーティストレッスン。Stingが”Roxanne”の弾き方を教えてくれるのですぞ!
楽しみです!
ベンチャーキャピタルファンドの人
昨日、ベンチャーキャピタルの人と話をする機会がありました。このブログを読んで、僕のやっている事業を知り、話を聞きにきたとのことでした。
このブログを読んでらっしゃる方ならうすうす気づいていると思いますが、僕はベンチャーキャピタルからお金をもらうことにはかなり消極的です。お金儲けばかりを狙っていて、このビジネスの社会的役割を理解してくれない人に主導権を渡したくないからです。
そういう事情のため、ベンチャーキャピタルそのものの勉強不足が激しかったのです。それが今日、お話をして、驚きました。
今日のベンチャーキャピタルが運用しているファンドは償還までがおおよそ10年だそうです。ということは、ベンチャー企業に投資した資金は10年経ったら何らかの形で、投資家に返さないといけないのです。それはどういうことかというと、10年近く経ってきたら、ベンチャー企業がIPOを行うように促したり、他の会社に買収されるように促したりするということのようです。
ギョ!それは困る。会社に時限爆弾を取り付けられるのは嫌だ。
やはり残念ながら、僕の考え方に合わないですね。
もっと別のベンチャーキャピタルもあるのでしょうが。
トヨタ、顧客の声が届きやすい部門を中心に新計画を練る
このブログでも以前に取り上げていますが、朝日新聞のトヨタ自動車に関する報道が面白いです。
今日は「トヨタ、拡大一辺倒主義を反省 世界基本計画破棄」とその隣に書かれていた「現場重視回帰『創業家なら』」の記事から抜粋して紹介します。
トヨタ自動車は商品展開や販売・生産計画の指針となっている世界基本計画「グローバルマスタープラン」を実質的に破棄する方針を明らかにした。拡大偏重主義に走り、現在の苦境を招いた元凶と判断した。
…
グローバルマスタープランは、5年先までの商品ごとの販売・生産台数を記した計画。02年に登場した。
…
全社的に「プランを重視するあまり、仕事の進め方が計画達成のために向かい、販売や生産の現場の声を聞く姿勢が薄れる」(トヨタ幹部)状況が生まれた。
…
金融危機をきっかけに深刻な販売不振が起きると、必達主義は生産にブレーキをかけるのを遅らせる原因になり、09年3月期決算が戦後初の営業赤字に転落する見通しになるなど、現在の危機的状況をつくってしまった、とトヨタは分析している。
…
新計画は「マーケットビジョン」と名付け、15年を目標に北米や欧州、中国、日本など地域の特性に合わせて、顧客や地域に求められる車種構成を十分考えて定める。
…
目標が独り歩きした従来計画の問題点を改めるため、顧客の声が届きやすい商品企画部門を中心につくる。(寺西和男)
(豊田)章男氏は、本社主導のグローバルマスタープランに代えて、現場の声を色濃く反映する「マーケットビジョン」を経営の柱に据える。短期的な利益は望まない。不況下でも黒字を出せる本来のトヨタの姿を取り戻す狙いだ。
僕が特に好きなのは
目標が独り歩きした従来計画の問題点を改めるため、顧客の声が届きやすい商品企画部門を中心につくる
現場が一番良く物事をわかっているとは限りませんし、現場の声や顧客の声が絶対とも僕は決して思いません。顧客の声を鵜呑みにしてしまうことは、企業の衰退につながるというClayton Christensen氏の考え方に僕は賛同しています。
しかし企業の成長と利益の拡大ばかりを望む株主および株価ばかりを気にしている経営者と比較すれば、現場の方が何十倍も正しい。これだけは間違いありません。
資本主義社会のメディアはすべて「現状に満足するな」ということだけをアナウンスしている
以前にも紹介した内田樹さんのブログから
「厭味なインタビュイー」
当たり前のことだが、今の自分のありようにそこそこ満足している人間の消費活動は、可処分所得とかかわりなく、不活発である。
だから、資本主義社会のメディアはすべて「現状に満足するな」ということだけをアナウンスしている(嘘だと思ったら手元の新聞でも雑誌でもめくってみたらよろしい。「現状に満足しましょう。日本もあなたもこれでいいじゃないですか」と書いている記事をみつけてご一報くだされば粗品を差し上げてもいいくらいである)。
そうしないとモノ(新聞や雑誌やテレビ番組もモノである)が売れないからである。
しかし、それは資本主義の側の事情であって、人間の側の事情は違う。
人間はできるだけ「ありもの」に満足しているほうが幸福である。
自分の生まれた境涯に満足し、自分の容貌に満足し、自分の才能に満足し、自分の健康状態に満足し、自分の配偶者に満足し、自分の子供に満足し、自分の国に満足し、たまに鏡を見て、「ま、こんなもんだわな」とへらへらしている鼓腹撃壌タイプの人間がいちばん幸福である(ほんとに)。
地球温暖化、金融危機などの世界的な問題を考える上で、これはとても的確な指摘だと感じました。
現代人が地球何個分の資源を消費しているかという指標を最近見ますが、日本人は地球2.47個分、アメリカ人は地球5.28個分という数字となっているそうです。
西欧的な資本主義がこれをあおったのかもしれません。
エコロジーの観点ではないのですが、アメリカの社会問題を歌にしているTracy ChapmanのMountains O’ Thingsの歌詞を思い出します。
Consume more than you need
This is the dream
Make you pauper
Or make you queen
I won’t die lonely
I’ll have it all prearranged
A grave that’s deep and wide enough
For me and all my mountains o’ things必要以上に消費すること
これが夢だよね
乞食になるか女王になるかだ
ぼくは寂しく死んだりはしない
ちゃんと準備しておくよ
深くて広い墓を作って
ぼくとぼくの山ほどのモノを埋めるのだ
採用面接の有効性(無効性)に関する学術論文
採用面接というのが如何に難しくて、そして思いの他に役に立っていないかを示している論文を紹介します。
The Validity and Utility of Selection Methods in Personnel Psychology: Practical and Theoretical Implications of 85 Years of Research Findings
Psychology Bulletin, 124-2 (1998), 262-274
Frank L. Schmidt (University of Iowa), John E. Hunter (Michigan State University)
これは様々な研究をまとめた総説です。
- 様々な調査を平均した結果、偏差値60以上の優秀な社員(正規分布で平均より1SD以上)は、スキルレベルが低い仕事で生産性が19%高く、スキルレベルの高い仕事で生産性が32%高く、管理職もしくはプロフェッショナルでは生産性が48%高いようです。
- 採用した人物が成功するかどうかを予測する最も有効な指標は、その人の知能や認知力です。これは管理職やプロフェッショナルな仕事ほど有効性が高いです。
- 試しに仕事を実際にしてもらうという試験も有効ですが、これは経験者にしか適応できず、また現実的ではないことが多いのが欠点です。
- その他、誠実さとまじめさが有効な指標です。
- 実際の仕事に合わせてしっかり準備・実施された面接は有効性が高いのですが、そうでない面接は効果がありません。
- 経験年数(その間の実績を問わない)は、採用した人物が成功するかどうかを予測する上では、ほとんど効果が認められません。ただし、5年未満であれば相関が見られます。(経験年数5年までは能力が直線的に向上しますが、それ以降は頭打ちになります)
大雑把な結論としては、知性の試験と誠実さやまじめさを計るか、あるいは知性の試験としっかりと準備された面接を行うことが良いとしています。

Predicting job performance: A comparison of expert opinion and research findings
International Journal of Forecasting, 5 (1989), 187-194
Stephen Dakin (University of Canterbury, Christchurch, New Zealand), J. Scott Armstrong (The Wharton School, University of Pennsylvania, Philladelphia, USA)
こっちの論文はニュージーランドの人材プロフェッショナルの意見と、上述の論文の研究結果を比較したものです。
上述の研究結果とは対照的に、人材プロフェッショナルは経験や面接(研究結果では無効とされたもの)に重きを置き、知性を軽視しているという結果になりました。

今までの経験
最後に僕の経験を少しだけ。
ライフサイエンスのいろいろな会社やその他の会社を含めて、面接はそれなりにたくさんやってきました。ほとんどは途中入社のための面接です。
その中で後者の論文に書いてある通り、履歴書の他、準備がほとんどされていない面接、もしくは経験年数が採用に使われていました。面接の準備については、外人の方が努力していて、結構いい質問も多くもらいました。しかし、日本人による面接はいずれもいい加減なものでした。
日本人の気質的にもいろいろ詮索するようなことを聞きにくいでしょうから、なかなか難しいところです。